論理的、感覚的

怒られそうだけど、なんとなくわかる。
基礎を学び、知識をある程度蓄えた後には、感覚によるところが大きいと思う。コードだって綺麗か汚いかで判断してるし。私のコードが一般的に綺麗かどうかはわかんないけど。リファクタリングもコードの中から嫌な臭いを感じ取ることが重要って言うし。
というか、「感覚」というのが人間の自然な思考形態なんだろう、たぶん。意識とか意味づけとかは後でやっていることで、人は自身の思考を真に知ることはできないんじゃないだろうか。
人はもっと感覚を信頼してもいいんじゃないだろうかとはよく思う。論理的思考力があるのが前提だけど。つまり、論理的思考は「最良な手法」ではない、おそらく。感覚と論理を上手く使いこなすのが重要かと。感覚で発想して(コード書いて)、論理で検証(デバグ)みたいな。
あと、論理的な人は、他人に仕事を任せるのが苦手だろうなとか。つまり、心配性なんだろう。でも、心配性は効率が悪い。自分の脳を信頼して権限を委譲した方が上手くいくかもよと。
私だけではないと思うけど、私は論理的に考えて着想を得たなんてことは一度も無い。材料を頭のなかに詰め込んで一時悩んだ後、別なことをやってるとアハッと閃く。特に風呂やトイレに入っている最中が多い。そもそも、「別なことと結びつける」なんてことは論理的思考ではできない。「発想の転換」も論理的思考ではできない。
プログラミングも科学も芸術も、新しいものを生み出す瞬間は感覚だろうと想像する。
話は違うけど、上の記事で「一度設計したらそれをなるべく変えない」って開発方針が述べられているけど、これを読んで「デッドライン」を思い出した。設計超重要。コードにおとしてからの仕様変更はダメ、絶対。